あけましておめでとうございます。今年もよろしく願いします。

と書くにはもう遅いようだ。もう三が日を過ぎてしまった。

三が日という言葉の、が はひらがなでよかっただろうかとふと思って検索してみたがやはり三が日だ。普段口頭で云う言葉を書きしるす時、どことなく違和感があることがある。その都度確認するかしないかはさておき、確認の方法がたいていの場合、ちょっと入力フォームに言葉を打つだけ、というのは大変便利だね。小学生のころ、一時期漫画の影響で広辞苑を学校に持ち歩いていた。他の教科書もあったのでかなり重かったはずだし、辞書は机にも入りきらずに常に鞄に入れていた。掃除時間は左右の重さのバランスの悪い自分の机を運びたくなかったので他の列を運んでいたことも覚えている。そんなに長く続かなかった習慣かもしれない。そこらの記憶は曖昧だ。今思えば大変馬鹿らしい、もしくは子供らしい行動だが、あれこれ分からない言葉を紙を捲って知ろうとした、あのわくわくする気持ちは今持ちあわせているだろうか。アイヌ語ゲーテファウスト、漫画や小説に出てきた言葉を逐字友人と引いては結局よく分からないと言っていた気がする。知りたかったことの答えは、見つかったこともあったし、見つからなかったことも多かった。なかでも、例えば「連関」という語を繰って、「関連すること」と一文のみある。そこで「関連」と引けば「連関すること」とある。ああいうのには参った。手も足も出ません。

 

年も明けたので、重い腰を上げて大掃除をした。金曜には遠くはるばる人が来るためでもある。

こたつ机の位置を変えて、大体のごみもまとめてしまった。あとは布の類をどうにか整理して押し込むだけです。考えたくないことは先延ばしにするたちなので、何が入っているか分からない段ボールが常に1つはある。今日それを開封して、一体どこに行ったんだと探していた目覚まし時計が出てきた。半年以上ぶりの再会に戸惑いの成分が大きい。何を思って段ボールに仕舞いこんでいたんだろう。スマホのアラームはどんなにやかましく重ねて設定してもいよいよという時間にならなくては起ききらない体たらくなので、今日からまたこれを使用することにする。寝床から一番遠い棚に置いて、そこまで歩いて、アラームをオフにする。その後また床に戻る可能性も多いにあるが。

 

時計といえば、年末年始はとにかくお喋りと絵茶を楽しんでいた。食べて寝て、風呂に入る以外はずっと通話する。その通話先にある時計の秒針を聞くのが半ば安心材料になっている。声と、めったにないが外の車の音と、モーター音のような低いうねりの中に同じ音が響いているのを、手を動かしている間意識しようと思えばじっと追えるし、話に意識が向けば気にも留めない。当然規則正しい音です。

なんとなく壁掛け時計だと決めつけていたが置時計の可能性の方が大きいのかな。部屋で見つかった時計は秒針の音は鳴らないし、学校の壁掛け時計でかなり音が響くものがあったから、そのせいか。