暫くここの更新をさぼっていた。一度更新しなくなるとぱったり途絶えてしまうのがブログというものだと過去何度も経験しているので、完全に足が遠のくことはないように努めたい。日記を立ち上げてから日中の思考が文字によってなされるようになったので、それを書き起こせばいいのだけれどいかんせんその場で忘れてしまう。

 

昨日の昼から今日の深夜まで、絵茶の人と忘年会絵茶をして過ごす。1年以上ぶりに会話する人もいて、ちょっとした同窓会のような感覚がした。会話の内容も近況から始まって思い出話が中心で話す内容は尽きない。昔繋がったけれどもう姿を見ない人もいる、あんな人いたよねって確認のように名前を持ち出す。名前さえも曖昧な人もいる。匿名の場所でしか知らない、名前も知らない人もいる。何を話したか、どんな絵を描いていたかで人を覚えているけれど顔も知らないなんて、もう当たり前だけれどそういうコミュニティにいない人からすれば相当変な感じするでしょう。元気にやっているといいな。

昼間こんこんと寝入っていて起きるともう夕方で、餅つきが終わってしまうどころか丸めた餅が冷えて硬くなっていた。乾いた餅の表面に何もしなかったことへの申し訳なさが若干生じる。

例年きちんと朝から起きている年は、かまどに薪をくべる係をかってでる。木のはぜる高い音と餅をこねる機械の音、酢餅のために大根をすりおろす音、話し声ともろもろのやかましさ。燃え上がる火に体の半身だけが照らされて、左の顔面が熱をもって乾燥する。確かそういう感覚だった気がする。においは、蒸したもち米を濡れた布巾で取りだす時の十分な湿気を伴った甘い空気を思い受けべようと思えば呼び覚ませるが、どことなく嘘くさい。炊飯器の匂いと混同しているし、詳細を忘れてしまった。

杵と臼で餅をつく家庭も減ってきたねって話すけれど、あと10年もすれば餅を家で拵える家もどんどん少なくなりそうです。

 

明日もゆく年くる年年越し絵茶です。もう今日になったか。